経歴

〇生まれ
1969年  東京都生まれ

〇学歴
千葉県立東葛飾高等学校
東京都立大学法学部法律学科卒業

〇経歴
・1993年
ヤオハン入社
・1994年8月
ヤオハン退社
・1994年8月
(財)法律扶助協会 入職
・2006年10月
日本司法支援センター(法テラス)へ移行(2018年3月まで)
・2018年6月
松戸市長選挙
落選(15867票 4位)
・2018年11月
松戸市議会議員選挙
初当選(3247票 6位)

〇モットー
言い訳をしない

〇趣味
テニス・ピアノ・ランニング
カラオケ・麻雀

ミールかずえストーリー

生まれは東京

東京大田区でサラリーマンの家庭に生まれました。転居した我孫子の小学校では図書館の貸し出し数が校内で3番目になるくらい、本を読みあさっていました。学級文庫にあった、手塚治虫の漫画「ブラック・ジャック」にあこがれ、卒業文集では将来の夢は「医者」か「総理大臣」と書きました。小学校の運動会では応援団長、中学ではバスケ部のキャプテンを務める活発な子でした。

山登りに明け暮れた学生時代

 千葉県立東葛飾高校、都立大学法学部に進学。大学では最初テニスサークルに行きましたが、「何か違う」と感じ迷っていたら、教室の壁に「まだ間に合う! ワンダーフォーゲル部」とあり、先輩たちの飾らない雰囲気が気に入り入部しました。

 それからは山登りに明け暮れ、その中で人間は苦しい時ほどその真価が問われることを学びました。

 多くの仲間と共に、勉強もスポーツも全力投球の学生時代でした。

同僚の死が社会に目を向けるきっかけに

 大学卒業後、大手流通業・ヤオハンに入社。同期の男性社員が10キロもやせ、心不全で亡くなり、過労死を目の当たりにしました。こんな会社に未来はないと、仲間には恵まれましたが1年で退社しました。

 会社の利益が優先される社会、蔓延するブラック企業は法律の力で変えなければと、この経験が私を大きく変えました。

社会の貧困とかかわった20年

 新聞の求人欄で探した(財)法律扶助協会。100人を超える人が受験し、採用はたった2人(1994年)。法律扶助協会は経済的に余裕のない方に無料の法律相談や弁護士費用の立て替え等を行う現在の法テラスの前身の団体です。

 貧困、DV、長時間労働など社会の様々な問題に接する中で、これらを解決するには社会を変えるしかないとの思いを強くしました。

 協会はその後、司法制度改革の一環で2006年に日本司法支援センター(法テラス・・「法で社会を照らす」の愛称)に移行。この間20年以上法律扶助の仕事を続け、約2万件の相談にかかわり、解決につないできました。この経験が今、市議の仕事に活きています。

共産党との出会い

 当時問題となっていた長良川河口堰反対の取り組みでは、学習会やデモにも参加し住民の声もお聞きしました。しかしどんなに反対運動があろうが、河口堰は造られ、諫早湾の干拓問題でも湾は閉門されるという国の強引なやり方に矛盾と怒りを覚えました。

 そのころ上司から「赤旗」を勧められたのが、日本共産党に入党するきっかけでした。

「私の人生だから」と政治の世界へ

 2017年夏、共産党から「ぜひ市政の刷新に力を貸してほしい」と話しがありました。しかし職場を退職しての挑戦には母も、そして法テラスの仕事に誇りを持っている二人の子どもたちも猛反対。本当に悩みました。しかし『社会の不公正に立ち向かう』という私の信念はゆるぎないものとなっていました。

 「私の人生だから」との新たな挑戦を支えてくれたのが夫でした。

2018年松戸市長選挙に挑戦しました!
2018年 11月松戸市議会議員選挙に挑戦! 高橋妙子元市議よりバトンタッチ!

法テラスの経験を生かし、多くの相談を解決へ

 市議になり、多くの相談をお受けしてきました。その多くが生活困窮に関するものでした。

相談者の立場に寄り添い、役所や法律事務所などへ同行し多くの方を生活保護などの公的支援につないできました。

 

 市民の誰もが、困ったときに「助けて」と言える、安心して自分らしく生きることができる松戸市を目指し、憲法を生かし、皆さんの声を市政に生かして引き続き頑張ります。

令和4年6月一般質問